昔幼い頃、父の誕生日に「お誕生日おめでとう!」といって手紙を渡しました。
すると、
「誕生日なんて、年をとるだけで嬉しくもなんともない。」
なんて、つまらない返事をもらったことがあります(笑)
大人になってからこの話しを姉にすると、
「あぁ~。笑)照れだね。パパらしい照れ隠しだ。」と。
なるほど。姉はすごい。と思った。
昨日、私も一つ年をとりました。
毎年誕生日の日は、有休をとることにしています。
いろいろ、考える日にしたいので。
いろいろな方法で日本中・世界各地にいる友達と一瞬にして連絡をとれるようになった近頃。
何もしていないのに皆さまから「おめでとう」とたくさんのお祝いメッセージをいただきました。
なんだかとても恐縮な気持ちでいっぱいになりました。
これまでそ んな風にとらえたことはありませんでしたが、今日はそんな風に感 じました。
何に対しての“おめでとう”であるのか。
それはやはり、“この世に誕生してきたこと”に対してであり、
本来は私が両親に“ありがとう”を言うべき日だったなぁと、と、過ぎてから気づきました。
何に対しての“おめでとう”であるのか。
それはやはり、“この世に誕生してきたこと”に対してであり、
本来は私が両親に“ありがとう”を言うべき日だったなぁと、と、過ぎてから気づきました。
父の”照れ隠し”も、いろんな感情がつまっていたのかな、と、
思うことができる年になりました。
私が生まれた○十年前の今朝は、雪の降る日だったそうです。
家の坂には雪が積もって車が上がれず、母は必死に雪道を歩いて病
寒かっただろう、と思います。
今年もたくさん、やりたいことや目標にしていることがあります。
でも何よりも、両親をはじめ、これまでお世話になってきた方々に
自分のことばかりでなく周りの人々のために も生きていく、
そんな気持ちで行動する年にしたいと思います。
そして健康な1年に。
どうぞ、宜しくお願い致します。
そんな気持ちで行動する年にしたいと思います。
そして健康な1年に。
どうぞ、宜しくお願い致します。
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